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東京高等裁判所 昭和48年(ネ)1644号 判決

控訴人 森健司

右訴訟代理人弁護士 松井邦夫

被控訴人 小川甫子

右訴訟代理人弁護士 佐々木功

主文

原判決を取り消す。

被控訴人は、控訴人に対し六四五万三、八〇〇円およびこれに対する昭和四三年一二月二八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審を通じこれを九分し、その八を被控訴人の、その一を控訴人の各負担とする。

この判決は、第二項に限り仮りに執行することができる。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人は、控訴人に対し七二五万三、八〇〇円およびこれに対する昭和四三年一二月二八日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張および証拠関係は、次のとおり付加するほか、原判決事実摘示と同一であるから、こゝにこれを引用する。

≪証拠関係省略≫

理由

一  三七〇万円の立替金債権について

被控訴人所有に係る横浜市戸塚区和泉町字海老沢三、二九〇番畑八三六・三六平方メートル(以下三、二九〇番の土地という。)について柏木仙太郎のために貸金債権二〇〇万円を被担保債権とする抵当権の設定登記がなされていることは、当事者間に争いがない。

しこうして被控訴人が控訴人に対して右土地の売却を依頼していたことは、後記認定のとおりであって、右事実と≪証拠省略≫を総合すれば、控訴人は、前記三、二九〇番の土地に抵当権がついたまゝでは売却し難いので、被控訴人の夫で同人を代理してその財産を管理処分する権限を有している小川豊吉に相談したところ、抵当債務の元利金を立替えて支払ってくれ、土地が売れたら代金から清算する、債権者の代理として小山啓介が行くから同人に支払ってくれ、と頼まれたので、控訴人は、昭和四二年一二月一日、債権者柏木仙太郎の代理人小山啓介に、同人が持参した抵当権設定登記抹消登記手続の必要書類と引換えに、元利金合計三七〇万を立替支払い、同日前記抵当権設定登記の抹消登記を経由したことが認められ(る。)≪証拠判断省略≫

以上認定事実によれば、前記抵当権の被担保債権の実質的債務者が誰であらうと、控訴人は、被控訴人を代理する権限を有する小川豊吉の依頼により前記元利金三七〇万円を立替支払いしたのであるから、被控訴人に対し右立替金債権を有するものといわねばならない。

二  不当利得返還請求権について

1、被控訴人が前記三、二九〇番の土地のほか同所三、二九二番畑一、七二〇・八四平方メートル(以下三、二九二番の土地という。)を所有していることは当事者間に争いがない。控訴人は、昭和四二年秋頃、被控訴人が控訴人に対し三・三平方メートル当り二万五、〇〇〇円の価格を指示してこれら二筆の土地の売却を依頼し、右依頼に基き控訴人が三、二九〇番の土地および三、二九二番の土地の一部六六一・二八平方メートル(二〇〇坪)を前記指示価格で売却したところ、被控訴人は前言をひるがえし、三・三平方メートル当り三万円でなければ売ることはできないと云い張り、さらに損害金五〇万円の支払いを要求したので、控訴人は不動産業者としての買受人に対する責任上前記差額および五〇万円を自ら負担せしめられたと主張するのに対し、被控訴人は、控訴人がその主張の土地を無断売却して被控訴人に所有権移転登記手続を要求してきたので、当時被控訴人は、三、二九〇番の土地をすでに三・三平方メートル当り三万円で売渡す契約をしていたのであるが、控訴人の懇請を容れ、右契約を解除して、三、二九二番の土地の一部二〇〇坪も含め控訴人に三・三平方メートル当り三万円で売渡し、さらに手付倍返しの費用一〇〇万円のうち五〇万円を控訴人に負担して貰うことにして、その代金および五〇万円を受領したものであると抗争するので、判断する。

≪証拠省略≫を総合すれば、

(1)  被控訴人は、昭和四〇年一二月頃、控訴人の父森佐四郎から三、二九二番の土地に抵当権を設定して六一五万円を借受けたが、昭和四二年秋頃、前記三、二九〇番および三、二九二番の各土地を売却して、前記借入金返済の資金に当てようとして、被控訴人の夫であり、代理権限を有している小川豊吉が秦正己を通じて売渡価格を三・三平方メートル当り二万五、〇〇〇円と指示して、控訴人にこれらの土地の売却を依頼した。

(2)  控訴人は、陽光商事の商号で不動産の売買、仲介の業を営んでいたが、右依頼に基き同業の山村敏夫(商号戸塚不動産)らを通じて買手をさがしたところ、昭和四二年一一月一五日永井庄太郎に三、二九〇番の土地を、同四三年一月八日株式会社和興商会に三、二九二番の土地の一部六六一・二八平方メートル(二〇〇坪)をそれぞれ前記指示価格で売渡す契約を締結した。これらの土地につき契約成立直後頃それぞれ農地法第三条もしくは第五条所定の許可申請をしたところ、昭和四三年一月および二月頃それぞれ許可通知を受けた。

(3)  控訴人および山村敏夫は、それぞれ前記契約の前後に小川豊吉に売却依頼の確認および契約成立の報告をした。前記農地法による許可を受け、所有権移転登記手続が可能になったので、代金支払いと引換えに登記手続をなすべく、控訴人が小川豊吉に連絡して同年三、四月頃、日時を定め、当日は、控訴人および買主の代理人として山村敏夫が残代金(手付金はすでに控訴人が受領、預っている。)を持参してかねての打ち合せの司法書士の事務所で小川豊吉を待ったが、同人は風邪を理由に延期を求めて来なかったので、登記手続をすることはできなかった。なお、残代金は、小川豊吉の言に従い控訴人が受取って保管した。そしてその後も控訴人は、小川豊吉に対して自らもしくは秦正己を通じて再三登記手続を請求したが、小川豊吉は言を左右にして応じなかった。

(4)  一方小川豊吉は、控訴人ら前記各土地が指示価格で売却された旨の報告を受け、登記手続を請求されていたにも拘らず、さらに高額に売却しようとはかり、当時同家に出入りして相談相手となっていた川井利和と協議して、同人の仲介で昭和四三年四月一日頃、三、二九〇番の土地について被控訴人、土屋豊間に代金七五六万円(三・三平方メートル当り三万円)で売渡す旨の契約をなし、土地売買契約書を作成し、手付金として東邦産業株式会社振出額面一〇〇万円の小切手(同月三日付)を、残代金支払のため同会社振出約束手形四通を受取り、右土地について買主土屋豊のために登記することなく、同日および同月一〇日吉川永一および栗林長太郎のためそれぞれ条件付所有権移転仮登記を経由した。なお、買主である土屋豊は、当時においても資力のないことは小川豊吉にも判明しており、また、前記東邦産業株式会社も同年六月頃不渡処分に付せられた。

また小川豊吉は、控訴人から三、二九二番の土地につき抵当権実行の通知を受けると、競売を妨害する目的をもって同年五月一〇日従兄弟の八木勝郎を権利者とする内容虚偽の抵当権設定登記および条件付所有権移転仮登記を経由した。

(5)  小川豊吉は、控訴人がなした前記売買契約の買主らに対し、自分は売っていない、所有権移転登記には応ぜられない、など云って控訴人や山村敏夫らを責めるよう仕向けたので、右買主らは控訴人らに登記手続を催促し、登記ができなければ、不動産取引業の取り消させてやるなどと責め立てた。控訴人、山村敏夫は、同年四月頃小川豊吉方を訪ね、登記手続を求めたが、同人は、前記土屋豊との売買契約を理由にすでに他に売却済みであるから、応ぜられないと拒否した。その後小川豊吉は、控訴人らに対し、土屋豊と同じく三・三平方メートル当り三万円と解約損害金一〇〇万円を出すならば、土屋豊との契約を解除して、登記手続に応じてもよいとの意向を示したので、買主らに責められ、業者としての信用の失墜と免許取消のおそれのある立場に追い込まれていた控訴人らは、この際多少の出捐の犠牲を払っても、ともかく前記買主らに対し、所有権移転登記手続ができるようにすることが先決であると考え、小川豊吉の右申出に応じることにした。かくして控訴人は、やむなく、昭和四三年七月一日頃三、二九〇番の土地および三、二九二番の土地の一部六六一・二八平方メートル(二〇〇坪)について被控訴人との間に代金三・三平方メートル当り三万円の価格で、前者については七五二万二、八〇〇円、後者については六〇〇万円で買受ける旨の土地売買契約書を作成し、買主から預っていた代金との差額、前者については一二五万三、八〇〇円、後者については一〇〇万円は控訴人が負担して、さらに解約損害金の名目で五〇万円を負担することとして、前記各金員を被控訴人に支払い(右各金員を支払った事実は当事者間に争いがない。)、ようやく前記買主らに対する所有権移転登記手続をすることができた。なお、被控訴人は、前記解約損害金の名目で控訴人に支払わせた五〇万円を土屋豊に支払っていない。

以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

以上認定事実によれば、控訴人は、被控訴人から三・三平方メートル当り二万五、〇〇〇円と価格を指定されて三、二九〇番および三、二九二番の各土地の売却を依頼され、その指示どおりの価格で三、二九〇番の土地および三、二九二番の土地の一部について売却したのであるから、右売却は効力を有し、従って昭和四三年七月一日頃、これらの土地について控訴人と被控訴人間において作成された土地売買契約書は、前記各買主に対して所有権移転登記手続をなすために控訴人が前記三・三平方メートル当り五、〇〇〇円の差額を負担する手段として作成されたものであり、換言すれば、これにより控訴人、被控訴人間に前記差額負担ならびに解約損害金の名目で五〇万円を支払う旨の約定が成立したものと解するのが相当である。被控訴人は、前記の如く、控訴人が前記各土地を無断で売却し、営業免許を取り消されるおそれがあったので、被控訴人は、控訴人の立場に同情して、その懇請を容れ、右各土地につき売買契約を締結したと主張するが、その当を得ないことは、前叙のとおりである。

2、しこうして、前記被控訴人と土屋豊間において三、二九〇番の土地についてなされた売買契約は、(1)土屋豊が無資力であることはすでに判明しており、また代金支払いのための約束手形の振出人東邦産業株式会社が間もなく不渡処分に付せられたこと、(2)買主土屋豊は、自己名義の登記をしていないこと、(3)原審証人土屋豊は、同人が右土地を買受けたのは、自己および東邦産業株式会社のための融資を受ける際担保として提供するためであると供述するが、担保物を無償で借受けるならばともかく、代金を支払って買受けることは、その経済的効果が疑わしく、その買受け目的に疑問なしとしないこと、(4)右土地には前認定の如く、吉川永一らのため条件付所有権移転仮登記を経由しているのであるが、≪証拠省略≫によれば、吉川永一らから融資を受けていないというのであって、金銭の授受なくして登記を経由することは、事業を経営する者の融資を受ける方法としては通常ではないこと(右土地を担保物とするため買受けたとするならば尚更といわねばならない。)、(5)土屋豊は、契約解除に伴う損害金五〇万円の支払いを受けていないこと、(6)前叙の如く、小川豊吉は、売値を釣り上げるため、控訴人らがすでに売却した旨の報告を受けながら、右土地について前記契約を締結したこと、これらの諸事実を総合して考えれば、被控訴人を代理する小川豊吉と土屋豊が真実に右土地を売買する意思をもってなされたことについては多大の疑問があるといわねばならない。

3、以上の諸事実を総合して考えると、前記被控訴人、土屋豊間の土地売買契約が虚偽表示で無効であるときはもとより、そうでないとしても、被控訴人の代理人小川豊吉は、三、二九〇番および三、二九二番の土地につき価格を指示して控訴人に売却を依頼し、控訴人から三、二九〇番の土地および三、二九二番の土地の一部につき売却した旨の報告を受け、その各買主に対する所有権移転登記手続の請求を受けていたにも拘らず、言を左右にしてこれを拒否し、さらに高額に売却しようとはかり、土屋豊との間に売買契約を締結し、他方前記買主らを使嗾して控訴人らを責め立てさせ、もって控訴人らをして買主らに対して所有権移転登記手続ができなければ、不動産取引業者としての信用を失墜し、ひいてはその営業許可も取り消されるおそれのある立場に追い込み、これを防ぐには小川豊吉の申出を容れ、多少の出捐の犠牲を払っても、ともかく所有権移転登記手続をできるようにするほかはないと決心させ、控訴人に前記三・三平方メートル当り五、〇〇〇円の差額および前記五〇万円を負担して支払う旨の約定をなさしめたものと認められる。しかも小川豊吉は解約損害金の名目で控訴人に支払わせた五〇万円を土屋豊に支払っていないのであるから、小川豊吉は、まさしく控訴人らの窮迫に乗じて控訴人をして前記約定をなさしめたものというべく、右約定は公序良俗に反し無効である。

してみれば、控訴人が被控訴人に対し前記差額一二五万三、八〇〇円および一〇〇万円、計二二五万三、八〇〇円および五〇万円を支払ったことは前認定のとおりであるから、被控訴人は、右金員の受領によりこれを不当に利得しているものというべく、控訴人は、その返還請求権を有する。

三  八〇万円の不法行為による損害賠償債権について

≪証拠省略≫によれば、同三、二九二番一畑九七二平方メートル、同番四畑七八平方メートルは、いずれも昭和四三年二月八日三、二九二番の土地を分筆したものであること、控訴人が被控訴人の代理人小川豊吉の売却依頼により、これら二筆の土地を同月二二日有限会社プレス規範製作所にその指示価格どおり三・三平方メートル当り二万五、〇〇〇円、計八〇一万三、〇〇〇円で売却し、手付金として八〇万円を受領したこと、控訴人は、これらの土地についても買主に対する所有権移転登記手続を請求したが、被控訴人は応じなかったこと、控訴人が三、二九〇番の土地および三、二九二番の土地についてはやむなく被控訴人の申出どおりの金員を支払って所有権移転登記手続をなすことができたことは前認定のとおりであるが、控訴人は、前記三、二九二番一および同番四の二筆の土地についても三・三平方メートル当り五、〇〇〇円の差額を負担して売買を履行するよりは、むしろ手付金倍額を償還して契約を解除する方が有利であると判断して、同年七月二二日頃前記手付金八〇万円の倍額を前記買主に償還して契約を解除したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

以上認定事実によれば、控訴人は被控訴人の代理人小川豊吉の売却依頼により前記各土地をその指示どおりの価格で売却したにも拘らず、被控訴人は、その所有権移転登記義務の履行に応じなかったのであるから、被控訴人は、控訴人に対し債務不履行による責任を負うべきものとしても、被控訴人の右登記義務の不履行が、土地売却依頼に関する契約上通常予想される事態でなく、かつ契約本来の目的範囲を著るしく逸脱するものである点につき何ら主張立証のない本件においては、単に前記登記手続に応じなかったことをもって直ちに被控訴人に不法行為による損害賠償責任があるものということはできない(最高裁判所昭和三五年(オ)第一四五六号、同三八年一一月五日第三小法廷判決、民集一七巻一一号一、五一〇頁参照)。被控訴人が債務不履行による責任を負うべきものであることは前叙のとおりであるけれども、不法行為による損害賠償を求めている本訴において被控訴人に対して債務不履行に基いて賠償の支払いを命ずることはできないから(大審院昭和一一年(オ)第二、一八六号、同一一年一二月二二日民事第五部判決、民集一五巻二四号二二七八頁参照)、控訴人の損害賠償の請求は理由がないといわなければならない。

四  以上の次第であるから、被控訴人は、控訴人に対し、立替金債務三七〇万円、不当利得返還債務二二五万三、八〇〇円および五〇万円、計二七五万三、八〇〇円、合計六四五万三、八〇〇円および右各金員に対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかである昭和四三年一二月二八日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務あるものというべく、従って本訴請求は、被控訴人に対し前記金員の支払いを求める限度においてこれを相当として認容すべく、その余は失当として棄却すべきである。

よって原判決は、右と判断を異にする限度において不当であって、本件控訴は理由があるから、民事訴訟法第三八六条第九六条第八九条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡田辰雄 裁判官 小林定人 裁判官野田愛子は転補につき署名押印することができない。裁判長裁判官 岡田辰雄)

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